自己嫌悪

無能落伍者が書いているブログです。

嫉妬

 

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嫉妬から芽生える殺意

 

感情の生物

 

人は感情の生物です。喜怒哀楽という四字熟語が端的に示してくれるように、何を行うにも感情が付きまといます。決して逃れられません。
もちろん嫉妬も感情ですから、死ぬまで付き合っていかねばなりません。
激情、そして報復。血で血を洗う争い。嫉妬は感情の中でも特に恐ろしいものです。どれだけ恵まれていても恵まれていなくても、この悪魔に魅入られてしまえば、等しく破滅を迎えてしまうのですから。
そこで破滅を少しでも遠ざけるため、一度、嫉妬について考えて見たいと思います。

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自己否定からの復帰

どれだけ偉大な人でも、どれだけ矮小な人でも、

自分を常に肯定できるわけではない。

苦汁を味わうことなく成功する人間も、失敗する人間も

この世には存在しない。

でも偉大な人が偉大であると言われるのは、

自己否定をただ飲み込むだけではないからなのだろう。

彼ら、彼女らはその苦みを

舌の上で何度も転がし、嫌というほど味わい、

そして自身の唾液で希薄されたころにようやく飲み込むのである。

そこでようやく意味を見出すことができるのだろう。

その苦しみに。

 

自己否定の存在意義

きっかけ

私は最初、自己否定が自然淘汰のために用意された機構であるかのように感じた。

自己否定が心に芽生えた途端、今まで平然と話していた人物相手にも、何処か負い目のようなものを感じてしまい、次には今まで平然と所属していたコミュニティ相手にすらも、同じ感情を抱いてしまう。

そしてこれがさらに悪化すると、その負い目は社会全体へと拡張され、しまいには日本、地球上、宇宙にさえ居場所が失われる。

その結果私は自身の思考世界にただ一つの居場所を見出すことになった。

 

当然だがその思考世界には私以外に誰もいなかった。

私はその場所でいろいろなことを考えた

人生、生命だとか、果ては宇宙の意味

できるだけ現実味の薄いことを、平凡な頭脳でできるだけ考えた。

思考は現実から離れてゆき、具体は消えうせ、私は現実から目を離していく。

完璧な主観の世界で、客観なんて一切存在しない都合のいい世界。

きっと心地の良い場所なんだろう。

その場所は。

誰と比べられることもないし、誰にも劣ることがない。

自分を否定する必要もない。

自身の主観が絶対的で、万物の運命さえも決定づける。

万能感。

中学生や小学生のころのような、根拠のないものではない。

全てを支配する万能感。

それに満たされているそこは果たして楽園だろうか。

 

いや、むしろ地獄だった。

 

離れるたび、ぞわっと、

思考のはざまに流れるのは

現実という雑音。

耳をふさいでも鳴りやまないそれは、

理想の世界を、陳腐で、つまらない、

この気持ちの悪いポエムのような

妄想へと作り替えた、

いや、そうであると露わにした。

 

現実を忘れる事さえできたなら。

 

思考をめぐるのはその念仏だけで、

無限に流れる頼りない木片にしがみ付かざるを得なかった私は、

現実におぼれまいと必死になる。

 

でも私は気が付いていた。

再確認させられた。

居場所を新たに作り出すことなんて不可能なのだと。

 

そして妄想は消えうせた。

気づき

私は再び自己否定と向き合うこととなった。

いや、向き合わざるを得なくなった。

逃げ場がないと悟ったからだ。

だから私は問いかけ続けた。

 

自己否定は他人の存在故に生まれる。

 

ではなぜ他人は私に影響を与えることができるのか?

 それは私が他者を評価することで、自己の至らなさを自覚するからである。

 では私が行う他者の評価とは、なんだろうか。

 それは成績や収入、容姿を知覚することである。

知覚し、そして主観によって評価する。

それが自己否定の正体である。

 では主観とは何だろうか。

 主観とは全く信用できないものである。

 

私が思考世界に逃げた時、そこを支配したのは主観であった。

主観は物事を好き勝手に意味づけするし、その上

その意味付けは大抵自分にとって都合のいいものだ。

(たとえ都合が悪そうに見えたとしても)

 

例えば今 人が死後どうなるか知っている人間はいないだろう。

だが質問すれば皆何かしらの答えを返すはずだ。

無になるという人もいるし、天国があるという人もいるだろう。

 

これも死後に対する都合のいい意味付けである。

 

だがそれを否定する必要はない。

この世界はすべて人間の意味付けでできた、

砂上の楼閣で、いつまでも存在していて、いつまでも存在しない。

いわば妄想が寄り集まってできた思考世界。

私がした楽園の妄想と大して変わらない。

 

 

 

私は自己否定と向き合った結果、自分にとって都合のいい意味付けを手に入れることができた。

それは妄想なんかではなく、意味づけした自分自身にとっては現実で、真実なのである。

このおかげで少しは楽に生きることができそうだ。

 

 

 

 

 

 

おそらく自己愛性人格障害

今私は自分が優秀などと一寸も思っていません。

しかし1年か2年程前までは特別な存在であると思い込んでいたことを独白します。

 

 

私は本当に努力をしませんでした。

それは偏に特別であるのだから努力などせずともどうにでもなる

という根拠なき思い込みに端を発したものでした。

 

そのきっかけは中学生のころにさかのぼります。

当時の私は思春期特有の自意識の過剰さに苦しめられていました。

中学生の私は特に容姿という点を他人と比較したがりました。

しかし成績はともかく見た目は良いというわけでなかったので、劣等感のみが蓄積されていきました。その容姿という一点のみにこだわり続けた私は、ついに精神崩壊というところまで来ましたが、そんな折に手を差し伸べるのはいつも、「きれいな顔だ」という身内の甘言でした。それが虚偽であるということは心のどこかで理解しておりましたが、しかし追い詰められた私はいつもその手をつかんでしまうのです。

 

それが何度か繰り返され、時計の長針も何千回まわろうかという頃、私は高校生になっておりました。

 

高校というのは学力別に分別されたゴミ箱のようなものなのですが、私は高級な、いかにも価値のありそうな金のゴミ箱の中におりました。大した努力もせずに。

 

努力したその他大勢の中に混じるゴミ、それが私でした。

私は増長しました。自身を過信しました。自分がゴミであることを自覚せずに不釣り合いな行為を繰り返しました。今となっては悔やまれることばかりですが、どうしようもありません。

 

その結果としてこの燃えカスが生み出されたのです。

完全に燃焼して存在が消えることもないただ黒い醜い脆い異臭を放つ、消えたほうがましだと思えるほどのそれは、風に吹かれ宙をさまよっています。

 

 時がたたねば消えることができないそんな始末のつけようがないほどの意志の弱さ。

私は何処へ向かっているのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

どうすれば他人と比較せずに済むんだ。

新しいことを始めるたびに偉大なる先人と比較してしまう。雲の上に届かないことは分かっているのに、どうしても、どうしても見てしまう。

小説家、ゲーマー、資産家、大統領、首相、芸能人、映画監督、哲学者、芸術家...

私は劣等感を抱きやすい。いや無意識的に抱いてしまう。

 

 

どうすればいいんだ

 

そうだ、逃げようあらゆる物から。

何もしなければ比べる必要ないじゃないか。

でも何もしないなんてできるのか?

自身を終わらせることもできない意志薄弱者ができるのか?

 

......

私は苦しみ続けるだろう

でも選択肢はない

 

 

 

 

 

 

 

誰か助けて

 

 

 

 

 

ニートは自殺しろという主張

  • 実情
    • 一般寄りの考え
    • ニート寄りの考え
  • ニートが変わるための主張

 

実情

余りにも過激ではありますが、口に出さないまでも、働く,もしくは学ぶ誰もが一度は考えたことがあるだろう

穀潰しは死ね

これについて考えてみたいと思います。

もちろん正誤を決めようというわけではありません。そんなものないですし。倫理観の問題ですから。

私は今限りなくニートに近い状態なので、多少の偏りは生じるかもしれませんがご了承ください。

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小説

SF小説を書いている

内容

SF小説を何となく書いてみようと思って試行錯誤しているところなんですけど、どうにも現代社会をディストピアに当てはめてしまって暗い話しか書けないんですよね。まぁ私の経験上それも仕方がないのかもしれませんが。

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社会不適合者

  • 社会不適合者になる条件
    • 疑念
      • 原因1 容姿(私の場合)
      • 原因2 自己否定
      • 原因3 自己顕示欲の未解消
      • 原因4 運
      • 個人的意見
  • 結論

 

社会不適合者になる条件

疑念

皆さんは子供のころどうでしたでしょうか。

私は親とは良好な関係でしたし、学業もトップクラスで交友関係も悪くありませんでした。ですが今は残念なことに、ぐちぐちと気持ち悪いことをいうことしか能のない落第しかけの大人になってしまいました。つまり私というサンプルから、まともに育てられたからといって必ずしもまともな大人になるわけではないと分かります。成育歴が関係ないなら何がきっかけで私のような人間が生まれるのでしょうか?とりあえず私自身は広い視野を持っているというわけではないので、個人の経験から考えてみます。

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自己肯定

自己肯定に対する個人的見解

  • 自己肯定に対する個人的見解
    • 自己肯定の喪失
      • 対象
      • 加虐者の心理
      • 人間の行動原理
    • 結論

 

自己肯定の喪失

自己肯定は人間が生きていくうえで必ず必要だ。

対象

あなたは学校や職場におけるいじめ、モラルハラスメントで自殺した人間を知っているだろう。このような自殺はたいていの場合、外部から否定的要素を押し付けられ自己肯定できなくなった場合に発生する。

一見して劣る人間が餌食になっているように思われるかもしれないが、必ずしもそういうわけではない。

容姿や頭脳、態度など様々な要素が原因となるが、その要素で勝る個人ですら時たま砲火の標的となるのである。

ならば優れた能力を持つ人間と劣った能力を持つ人間、一見正反対にも見える彼らはど

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