自己肯定
自己肯定に対する個人的見解
自己肯定の喪失
自己肯定は人間が生きていくうえで必ず必要だ。
対象
あなたは学校や職場におけるいじめ、モラルハラスメントで自殺した人間を知っているだろう。このような自殺はたいていの場合、外部から否定的要素を押し付けられ自己肯定できなくなった場合に発生する。
一見して劣る人間が餌食になっているように思われるかもしれないが、必ずしもそういうわけではない。
容姿や頭脳、態度など様々な要素が原因となるが、その要素で勝る個人ですら時たま砲火の標的となるのである。
ならば優れた能力を持つ人間と劣った能力を持つ人間、一見正反対にも見える彼らはど
うして被害にあってしまうのだろうか。
実は一見無関係に見える彼らに共通点があるからである。
それは普通から外れていることだ。
加虐者の心理
なぜ加虐者は普通から外れた人間をいじめるのだろうか。
これは単純だ。彼らは自己肯定をしているのである。
突然だが、あなたは学生のころ定期テストで他人の点数が気になっただろうか?
もし気になっていたならば、あなたにはいじめの才能があるかもしれない。
他人の点数が気になるというのはすなわち、他人と自分を比較しているということであるからだ。
他人と比較するという時点で自分に劣る他人を見て安心するという心理が働くはずだ。
定期テストで最下位をとり続ける人間はほとんどいないだろう。
そして安心するとはどういうことかを考えると、自分より下がいるのだから大丈夫だ、と自己肯定しているということなのだ。
ならば能力が優れている者はいじめられないのではないか、とあなたは考えただろう。
しかし残念なことに、いじめ加害者は自分に劣る人間を貶めるだけでなく、自分に勝る人間に対する劣等感をなくそうと行動するのである。
ここでも一つ例を挙げる。
あなたには頭脳明晰だが醜い同僚がいる。
彼はいつもトップの業績でたたえられているが貴方は平均にも劣る成績で貶められることすらある。しかし容姿は平均程度だ。
あなたは果たしてその同僚の欠点を決して笑わないといえるだろうか?
この世には完璧な人間なんてほとんどいない。故にどんなに優れた人間でも欠点の一つや二つは存在する。多くの人間は他人の負の側面を本来の能力であると認識したがるらしくその為に勝る人間にすら、モラハラやいじめが発生するのである。
そしてエゴイストたちは自己肯定の凋落から逃れようとするのだ。
この考えに納得してくれたならあなたは気が付くだろう。
私はいじめ加害者と同じ心理だったのか、と。
そしていじめる者の心理状態も理解できたはずだ。
人間の行動原理
人間は大なり小なり自己肯定のために行動しがちである。
ならばどうして加害者がいじめやモラハラをするのかよくわかるだろう。
自らの自己肯定を他人から補給しているのである。
ほとんどの場合他人をいじめることなく生活できるが、中には自転車操業をしなければ自分を肯定できない悲しい人間がいるのだ。
結論
我々は彼らの自己肯定を回復させるつもりは毛頭なく、むしろ加害の責任を彼らだけに押し付けてしまいがちだ。しかしその場はしのげたとしても今後同じことが繰り返される可能性は高い。加害者の背後に潜む真なる問題に取り組まねばいじめ、モラハラは決してなくならない。