自己嫌悪

無能落伍者が書いているブログです。

精神障害を持たない落伍者

 

不可視的精神障害

 

精神障害による影響は見た目だけでは容易に理解することはできない。

知的障害や精神障害とは違い、精神障害者は(見た目だけで言えば)まともに見えるからだ。ならば深く付き合えば明らかになるのかといわれるとそうではない。ともに生活している人ですら気が付かない事もある。

その原因として精神障害が実生活に影響を及ぼすほど重度になるまでは、自身のもしくは知人の風変わりな様子が、自身の持つ生来の性質に由来すると考えられがちだということが挙げられる。ADHDの症状である不注意、衝動性などがその典型だ。

例えば中高生がゲームに熱中して宿題をやらなければどう思うだろうか。

 

精神病に関心のない人間であれば、反射的にただなまけているだけだと考えるだろう。

多くの場合その認識は正しい。しかしあなたの知人や自分自身が本当にそうだと断言できるだろうか。確かに精神障害者数は多くはないが、運悪く精神障害であった人間は異常性が前面に押し出されるまで自身が健常であると思い込む。そして普通に生きようとして、さんざん精神をすり減らした結果居場所はないのだと自殺する者すら現れるのだ。

つまり自身の出来の悪さの理由を悉く己に押し付けてしまうのである。

私の選択

精神障害に対する偏見が強かったころは自ら進んで精神障害者になろうする人間はあまりおらず、社会になじめない事実に耐えかねた個人が選べる選択肢は「それでもなお耐える」、か「死ぬ」のみであった。

 

しかし今は昔とは違う。

私は自身の出来の悪さの責任を進んで精神障害に押し付けようとしようとしたのである。

 

失われた楽園

初診編

私は無能さの原因が精神障害であるなら、対抗策があるはずだと考え嬉々とした声でスマホに話しかけた。そして近場の精神科に向かい医師の前に座った。そして彼と問答した結果私の目の前は真っ暗になった。なんと彼は私がADHDASDなどに当てはまらないというのである。それでも食い下がる私に彼は一つの提案をしてきた。心理テストを受けることで厳密な診断ができるというのだ。

その心理テストというのはWAISと呼ばれるもので、界隈ではかなり有名らしい。

ということでWAISとやらを受けることにした。

WAIS編

楽園に着々と近づいている。私はついに精神障害に無能さの原因を押し付けられるのだ、と足取り軽く病院へ向かった。そして検査の資格を持っているらしい臨床心理士のいる部屋で様々なテストを受けた。内容はかなり単純で小学生レベルの計算や語句の説明などであった。テストを3時間ほど続けたころだろうか。ようやくWAISは終わったらしく私は家に帰った。

結果編

WAISの結果が出たという連絡に急ぎ足で向かう私の瞳は爛々と輝いていたはずだ。

しかしその輝きは現実のあまりの暗さに、光すら吸い込むブラックホールに一瞬にして覆い隠された。彼はWAISスコアをじっくりとなめまわすかのように見た挙句、それにもかかわらず死の宣告をしてきた。

「あなたは健常者だ」

検査をすれば私に責任のないことが証明できると思っていたため、度肝を抜かれていたのだ。ただの無能と化した私はよろよろと病院から逃げるほかなかった。

 

診察室で彼は慰めるかのように「あなたは非常に高い知能を持っています。」等という戯言を宣った。仮に私が高度な知性を持っていたとして、それならば私はどうして今落伍者として生きているのだろうか。

 

確かにもらった用紙には全検査IQ123言語性IQ127動作性IQ115と書かれていた。ここで初めて私はIQという指標のいかに不誠実であるかを理解した。私は上位6パーセントかつ下位6パーセントだった。そこには何の相関もない。目指していた楽園はただの蜃気楼に過ぎなかった。 

路頭に迷う

私はこの先どのように生きていけばよいのだろうか。

自身が健常であるという事実は多くの人にとって+だろうが、しかし私は健常であることを望んでいなかった。

私は無能の責任を抱え込んでどのように生きていくのだろうか。